2008年 08月 30日
秋の夜更けにて。 |
こういう話題もいいかもしれない、ということで。
「のだめ」の最新刊を読んでいたら、かなり危機的状況にのだめが陥ってしまって(と、いうか、化けるかだめになるかの境目か)、そこに出てくるシュトレーゼマン(世界的に著名な指揮者。変態)がある提案をのだめにするのですが。
何度か繰り返して読めば、ちゃうな、と思うのだけど、最初に読んだとき、私はある人のことを自動的に思い出してしまったのでした。
もう何年も前、私がまだ孵化さえしていないような状態だった頃から、そして私がある瀬戸際にいたときも、その後も、一番剥き出しの私ととことんつきあったのが、その人でした。
そして、実によく「調教」されたような気もする・・・普通、こちらが泣いていれば、肩でも抱いて、よしよしと慰めるものですが、それどころか、泣いている私にムチをくれ、立ち止まることも休むことも許さずに、やがて私も泣くこともできずにひたすら前進(て、多分それでも生温かったとも思うけど)し。
むちゃくちゃにきつかったけれど、私の実感としてとても深い愛をもらった、と感じているし、だから私も全力でぶつかったし、今でも感謝しているのです。
とても厳しかったけれども。
並ではないバランスで保たれていた関係だったから、一旦それが崩れてしまうと、というか、お互いに進化前進し続けているのだから当たり前のこととして、成り行きではなくお互いの、自らの選択として、一切の関わりをなくす、という決断をしたけれど。
そのことも含めて、後悔はないし、とても奇跡的な出会いと関係だったと今でも思うのです。
あの、一番最初のぎりぎりの正念場で、あのような人を得られた、ということ。これは、真に得がたいものだと思うから。
よく、あの状態の、しかも剥き出し、原液のままの私とつきあい、そしてびしばしと渡り合って(でもこっちが負けていた、完全に・・・というのは事実じゃないかもしれない、お互い真剣勝負だった)いたなあ・・・とほんとうに思うし。
実際のところ、甘いラブラブな関係♪とかいうものじゃなかっただけに、余計に官能的な気もするし(お互い、変態だし)。
のだめとシュトレーゼマン、より、クラリスとレクター博士、かもしれない。特に「ハンニバル」あたりの。
そして終わらせた、ということは私自身ももうそのような関係(調教師と猛獣みたいな)は必要としていない、ということではあるのだろうとは思います。
ただ、そうなってみてびっくりすることが。
状況も特殊だったとはいえ、原液のままのお互いを飲み下す、ということがどれほどのことかを知ってしまうと、都合の良い関係の結び方や、おいしいとこ取りのつきあいなんて、おかしくってやってられないと思うのだけど、どうもそれは大方の人としては選択できないものらしい・・・ということ。
別にこれは、深き人生の悩みを吐露する・・・という意味ではなくて。(今となってはそんな、他人に話せばなんとかなるようなものなんてなく、勝負かかってることがあれば、それはそれこそ他人に話すどころでもないです、全力で勝負)。
素のままの私を受け止めて欲しいという意味でもなくって、つまり、そのままのあなたでいい、何も気負うことなくその身を預けてくれて大丈夫、ということなのだけど、そしてそのことがどれほどのことをもたらすかを知っているからこそなんだけど、大体の人はひるんでしまう。
これは、多分に私のやり方の問題でもあるかもしれない。まだまだですね。(それとも「お前にはそうしてやんない」ってことなのか。あんまりこれはないか)。
素晴らしいところ。だめなところ。どんなところも見たいし、解りたい。解ることはできないとわかっていても、限りなくその状態に近いところまでいきたい。
そのためには、ほんとうに身をさらす、というのは絶対条件なのだと思う。
そして、だめなところなんて、ほんとうは誰にもありはしなくて、全てがその人であり、魅力なんだとも思うのです。
でもそれをいきなり・・・は大変なのかもしれません。現代を生きる人間には、他にあれこれと望むと望まざるとに関わらず、抱えて、背負ってしまってることがいっぱいあったりするから。
そして私も、原液は濃すぎるやろ・・・という意味と、正面勝負はスマートやないやろ・・・という意味の両方から、もっと薄めてさらりと水の如くになったほうが良いかもしれません。
ほんとうに、その全てが愛しいし、丸ごと抱いていたいな、と思うんですが。
まだ私がそこまでの女じゃないということでもあるかもしれません。それならそれで、そのことに気付かせてくれた人(また別ですが)にも感謝ではあります。
頑張ろうっと。明るく楽しく色っぽくね。
さて、明日から(ってもう今日か)はのんびりおっとり通常営業いたします。
秋(つっても8月だけど)だし、夜更けの独白、ということで☆
みなさま、はばないすうぃーけんっ☆
「のだめ」の最新刊を読んでいたら、かなり危機的状況にのだめが陥ってしまって(と、いうか、化けるかだめになるかの境目か)、そこに出てくるシュトレーゼマン(世界的に著名な指揮者。変態)がある提案をのだめにするのですが。
何度か繰り返して読めば、ちゃうな、と思うのだけど、最初に読んだとき、私はある人のことを自動的に思い出してしまったのでした。
もう何年も前、私がまだ孵化さえしていないような状態だった頃から、そして私がある瀬戸際にいたときも、その後も、一番剥き出しの私ととことんつきあったのが、その人でした。
そして、実によく「調教」されたような気もする・・・普通、こちらが泣いていれば、肩でも抱いて、よしよしと慰めるものですが、それどころか、泣いている私にムチをくれ、立ち止まることも休むことも許さずに、やがて私も泣くこともできずにひたすら前進(て、多分それでも生温かったとも思うけど)し。
むちゃくちゃにきつかったけれど、私の実感としてとても深い愛をもらった、と感じているし、だから私も全力でぶつかったし、今でも感謝しているのです。
とても厳しかったけれども。
並ではないバランスで保たれていた関係だったから、一旦それが崩れてしまうと、というか、お互いに進化前進し続けているのだから当たり前のこととして、成り行きではなくお互いの、自らの選択として、一切の関わりをなくす、という決断をしたけれど。
そのことも含めて、後悔はないし、とても奇跡的な出会いと関係だったと今でも思うのです。
あの、一番最初のぎりぎりの正念場で、あのような人を得られた、ということ。これは、真に得がたいものだと思うから。
よく、あの状態の、しかも剥き出し、原液のままの私とつきあい、そしてびしばしと渡り合って(でもこっちが負けていた、完全に・・・というのは事実じゃないかもしれない、お互い真剣勝負だった)いたなあ・・・とほんとうに思うし。
実際のところ、甘いラブラブな関係♪とかいうものじゃなかっただけに、余計に官能的な気もするし(お互い、変態だし)。
のだめとシュトレーゼマン、より、クラリスとレクター博士、かもしれない。特に「ハンニバル」あたりの。
そして終わらせた、ということは私自身ももうそのような関係(調教師と猛獣みたいな)は必要としていない、ということではあるのだろうとは思います。
ただ、そうなってみてびっくりすることが。
状況も特殊だったとはいえ、原液のままのお互いを飲み下す、ということがどれほどのことかを知ってしまうと、都合の良い関係の結び方や、おいしいとこ取りのつきあいなんて、おかしくってやってられないと思うのだけど、どうもそれは大方の人としては選択できないものらしい・・・ということ。
別にこれは、深き人生の悩みを吐露する・・・という意味ではなくて。(今となってはそんな、他人に話せばなんとかなるようなものなんてなく、勝負かかってることがあれば、それはそれこそ他人に話すどころでもないです、全力で勝負)。
素のままの私を受け止めて欲しいという意味でもなくって、つまり、そのままのあなたでいい、何も気負うことなくその身を預けてくれて大丈夫、ということなのだけど、そしてそのことがどれほどのことをもたらすかを知っているからこそなんだけど、大体の人はひるんでしまう。
これは、多分に私のやり方の問題でもあるかもしれない。まだまだですね。(それとも「お前にはそうしてやんない」ってことなのか。あんまりこれはないか)。
素晴らしいところ。だめなところ。どんなところも見たいし、解りたい。解ることはできないとわかっていても、限りなくその状態に近いところまでいきたい。
そのためには、ほんとうに身をさらす、というのは絶対条件なのだと思う。
そして、だめなところなんて、ほんとうは誰にもありはしなくて、全てがその人であり、魅力なんだとも思うのです。
でもそれをいきなり・・・は大変なのかもしれません。現代を生きる人間には、他にあれこれと望むと望まざるとに関わらず、抱えて、背負ってしまってることがいっぱいあったりするから。
そして私も、原液は濃すぎるやろ・・・という意味と、正面勝負はスマートやないやろ・・・という意味の両方から、もっと薄めてさらりと水の如くになったほうが良いかもしれません。
ほんとうに、その全てが愛しいし、丸ごと抱いていたいな、と思うんですが。
まだ私がそこまでの女じゃないということでもあるかもしれません。それならそれで、そのことに気付かせてくれた人(また別ですが)にも感謝ではあります。
頑張ろうっと。明るく楽しく色っぽくね。
さて、明日から(ってもう今日か)はのんびりおっとり通常営業いたします。
秋(つっても8月だけど)だし、夜更けの独白、ということで☆
みなさま、はばないすうぃーけんっ☆
by blessedcoco
| 2008-08-30 02:57
| 日々の出来事