2007年 10月 13日
ハムスターはもう飼わない。 |
キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか? (文春文庫PLUS (P40-26))
飴屋 法水 / / 文芸春秋
ISBN : 4167713195
スコア選択: ※※※※※
まだ読み始めたばかりだというのに早速推薦!
飴屋法水といえば、動物堂の店主・・・と思ったら、閉店なさってたのですね。よしもとばななの日記にも出てくる人。というか、弟を通じて知った(本をな)野村潤一郎獣医師のおともだち。
としか思ってなかったんですが。野村獣医師と親しくつきあえる時点で普通の人じゃなかったのですね。
動物、しかも珍獣と呼んで差し支えない動物を扱う店を経営していたと同時に、自らそうした動物を飼っていた人で。経験も豊富。経験を積むために培った知識も相当。
実はこの本に出会うまでは、飼育が困難な動物を商うのはいいけど、買って行く人間にその資格がなかったらどうなのさ、と思っていたし、アホがほいほい買える環境を作ってんじゃんとか思っていたのですが。
次元が違いました。こういう人が経営している店に、アホが入り込んで、いくらお金があっても、きっと買えません。
知識と経験、加えて情熱と愛情。世間一般でイメージするところのうそ臭い愛じゃなくって、厳しい愛。それを感じる1冊です。つうわけで読みましょう。この秋の必須課題図書です。
とか言ってる私自身の視線が、この本によって変化するであろうと今から感じています。
動物を「飼う」ということ。それがどういう動物であれ、その行為自体を糾弾している本でもないし、擁護している本でもない。ただその行為は、「所有する」ということではなくって、「生命との真剣勝負」なんだろう、ということを、例えば珍獣とされる動物と暮らした・・・以前に触れたこともない私たちに、教えてくれる本だと思います。とんでもなく厳しくて、その分きっと喜びも得られたときには、大きい、要するに「珍しいもんでもかってみてー」とか言ってできるもんとちゃいますねんと。それに面白いですよ。(犬と暮らすのも真剣勝負ですが、彼らはまだ人間に添ってくれている、と思う)。
私は今後、一切ハムスターを飼育しない、と決めています。それ以前に金魚も。カエルも。ヒト以外の種と生活することを選ぶなら、馬、犬、猫(は多分ない)、自分が生息しやすい環境を提供できると判断した植物。それだけ(充分多いか)。
金魚とカエルについては、もうそれだけで天国に行く資格はなくなったな、と思うくらいの残虐行為をしてきたからです。要するにほとんど世話というものをしなかった。カエルなんて、気付いたら干物が出てきた。小学生だった私。それはいいわけにならない。ってすみません、こんな奴です。(今はないだろうけど・・・でも自分への戒め。それで償えるものではないけれど)。
ハムスター。お金で買ったことはありません。でも超高級ハムスターを飼ってました。
ペットショップにちょいちょい顔を出していた時期があって、その日もハムスターのケージ(当時はジャンガリアンが流行)を覗いていたら、目につきにくい場所に、ちっさい水槽(プラスチック製)と、その中に3匹のハムスター。
なんじゃろ?と思いました。値段ついてないなー。ちゅうか水の中におがくず入りまくってるし。と思ったら、謎はすぐ解けました。要するに「傷もの」だったわけです。
頭にでっかい瘤。でもこれ多分噛まれたかなんかだなーと思って。ぐるぐるぐると悩みました。見ちゃったから、そのままにできんわと。店が治療?するわけない。そんなのコストに見合わない。このままご飯と水はもらうけど、もっぱら放ったらかしで(ってそれ他の値段ついてる子らも一緒やけど)、でもなんでいるかっていうと、生きてるから捨てられてないだけで、さりとてじゃー面倒くさいわとちっこい首をこき、と捻る根性もないからいるだけで。
単に自分の「気になる性格」が発端だったわけですが、とりあえず、繁殖させて責任とる自信はないからケージは別。ちっこい水槽で飼う気もない。がらがら回し車が夜になると「爆音」に変わり果てるのは、以前弟が飼ったゴールデンハムスターで経験済み。加えて私は貧乏。
3匹は無理よ・・・と試しに「いくらですか」と聞くと、店のおばちゃんごっつ喜びはりました。ただです!って、ただかい・・・。
別にそれはいいのだけれど。なんちゅうか、面倒な存在だったのかと思うと同時に、おばちゃん、自分は何とかする気はないまでも、気にはなってたんやなーと思いました。
で、ケージ買って確かその日のうちに獣医へ。というわけで、ペットショップを出た時点ではただ(ケージ代はかかったが)、でも結局何千円のハムスターに変身。
ついでに翌日、残る1匹ももろうて来ました。瘤ですか?そりゃもうきれいに治りましたよ。
その後このねずみ生活は、友人で増えすぎたのを「一番ちっこいのを」と言ってどー考えても規格外のでかさの「ギャオス」を加えて4匹に。(ちゅうかそういう女だったよな、その子)。大学卒業して山梨に行ったときも、こっそり買ってました。
今も確かギャオス(だったと思う)は山梨に眠っています。
名前ももう定かじゃなくなってるのは、加齢のせいというよりは、やはりハムスターと私の関係っていうのが、あまり濃厚なものじゃなかったからでしょう。彼ら、別に人間とコミュニケーションを必要としてませんから。(そうじゃないハムもいるのかもですが)。
結局、あまり何かをしてやれたとも思えなかったし、それでもせっせと世話をして喜びにむせず性質でも私はなかったし、掃除も毎日なんてしなかった。だから気付いたらもう死ぬ一歩手前だったりもしました。心臓の限界、つまるところ老衰といったところでしょうが。それでも、「この子が弱っているのに気付かず、へらへら笑ってテレビ見てた自分」というのが許せなかった。こんなんが、彼らを飼育する資格はないと。
ちなみにその子は、忘れられない経験をくれました。もう弱りに弱っていて、うわーあああと思って自分の手の感触自体がストレスかもと思いつつも、手にとってあたためて。水をやって。あたためてあたためて、夜なんて眠らずに、ずっと手にくるんで。
荒かった息が徐々に弱弱しくなって、ああ、多分これは何をどうしても止められないんだ、と思いつつ、じっと静かに見てました。
くっ・・・と息を呑むようにして、かすかにぶるっと震えて、それで動かなくなりました。そうやって、最後はくるのか・・・と、漠然と(だって生と死は、はっきりと理解するには大きすぎる)感じた経験。
ごめんねごめんねごめんね。何もしてやらなかった。してやろうともしなかった。ちゃんと彼らに「良い」環境を与えてやれた自信もない。なにが一番良いのかも、わからなかった。こんなので、小さくとも「命」を引き受けることなんて、してはいけないんだと思いました。コミュニケーションを密に取れない対象とは、暮らしてはいけない、飼育なんて絶対だめだと。
なんか、もっぱら普段は思い返すことのないことだったけど、この本を読んで思い出してしまいました。
見返りなんて動物は要求してないんだけど。ろくなこともしてやらなかったのに、それでもあんなにおっきなものをもらった、と、色々思い出すと噛み締めてしまいます。だから余計に、不用意に「飼ったり」しない、と。
ちなみに今は植物が都合2鉢いますが、すんごい悩みました・・・だって何十年のつきあいになるかもしれないでしょう?それでも結局連れてきたのだけど。勿論、「サウナでも平気ですか」と質問して。うち、夏はサウナやねん。
あんまり繊細に世話できていないのに、それでもポトスはめきめきでかくなり、マダガスカルジャスミンは花まで咲かせてくれました。
簡単に手出しする領域ではないけれど、それでもやはり、命と一緒にいることを、どうしても選ぶし、そうしていきたい。それも確かに思うのです。
飴屋 法水 / / 文芸春秋
ISBN : 4167713195
スコア選択: ※※※※※
まだ読み始めたばかりだというのに早速推薦!
飴屋法水といえば、動物堂の店主・・・と思ったら、閉店なさってたのですね。よしもとばななの日記にも出てくる人。というか、弟を通じて知った(本をな)野村潤一郎獣医師のおともだち。
としか思ってなかったんですが。野村獣医師と親しくつきあえる時点で普通の人じゃなかったのですね。
動物、しかも珍獣と呼んで差し支えない動物を扱う店を経営していたと同時に、自らそうした動物を飼っていた人で。経験も豊富。経験を積むために培った知識も相当。
実はこの本に出会うまでは、飼育が困難な動物を商うのはいいけど、買って行く人間にその資格がなかったらどうなのさ、と思っていたし、アホがほいほい買える環境を作ってんじゃんとか思っていたのですが。
次元が違いました。こういう人が経営している店に、アホが入り込んで、いくらお金があっても、きっと買えません。
知識と経験、加えて情熱と愛情。世間一般でイメージするところのうそ臭い愛じゃなくって、厳しい愛。それを感じる1冊です。つうわけで読みましょう。この秋の必須課題図書です。
とか言ってる私自身の視線が、この本によって変化するであろうと今から感じています。
動物を「飼う」ということ。それがどういう動物であれ、その行為自体を糾弾している本でもないし、擁護している本でもない。ただその行為は、「所有する」ということではなくって、「生命との真剣勝負」なんだろう、ということを、例えば珍獣とされる動物と暮らした・・・以前に触れたこともない私たちに、教えてくれる本だと思います。とんでもなく厳しくて、その分きっと喜びも得られたときには、大きい、要するに「珍しいもんでもかってみてー」とか言ってできるもんとちゃいますねんと。それに面白いですよ。(犬と暮らすのも真剣勝負ですが、彼らはまだ人間に添ってくれている、と思う)。
私は今後、一切ハムスターを飼育しない、と決めています。それ以前に金魚も。カエルも。ヒト以外の種と生活することを選ぶなら、馬、犬、猫(は多分ない)、自分が生息しやすい環境を提供できると判断した植物。それだけ(充分多いか)。
金魚とカエルについては、もうそれだけで天国に行く資格はなくなったな、と思うくらいの残虐行為をしてきたからです。要するにほとんど世話というものをしなかった。カエルなんて、気付いたら干物が出てきた。小学生だった私。それはいいわけにならない。ってすみません、こんな奴です。(今はないだろうけど・・・でも自分への戒め。それで償えるものではないけれど)。
ハムスター。お金で買ったことはありません。でも超高級ハムスターを飼ってました。
ペットショップにちょいちょい顔を出していた時期があって、その日もハムスターのケージ(当時はジャンガリアンが流行)を覗いていたら、目につきにくい場所に、ちっさい水槽(プラスチック製)と、その中に3匹のハムスター。
なんじゃろ?と思いました。値段ついてないなー。ちゅうか水の中におがくず入りまくってるし。と思ったら、謎はすぐ解けました。要するに「傷もの」だったわけです。
頭にでっかい瘤。でもこれ多分噛まれたかなんかだなーと思って。ぐるぐるぐると悩みました。見ちゃったから、そのままにできんわと。店が治療?するわけない。そんなのコストに見合わない。このままご飯と水はもらうけど、もっぱら放ったらかしで(ってそれ他の値段ついてる子らも一緒やけど)、でもなんでいるかっていうと、生きてるから捨てられてないだけで、さりとてじゃー面倒くさいわとちっこい首をこき、と捻る根性もないからいるだけで。
単に自分の「気になる性格」が発端だったわけですが、とりあえず、繁殖させて責任とる自信はないからケージは別。ちっこい水槽で飼う気もない。がらがら回し車が夜になると「爆音」に変わり果てるのは、以前弟が飼ったゴールデンハムスターで経験済み。加えて私は貧乏。
3匹は無理よ・・・と試しに「いくらですか」と聞くと、店のおばちゃんごっつ喜びはりました。ただです!って、ただかい・・・。
別にそれはいいのだけれど。なんちゅうか、面倒な存在だったのかと思うと同時に、おばちゃん、自分は何とかする気はないまでも、気にはなってたんやなーと思いました。
で、ケージ買って確かその日のうちに獣医へ。というわけで、ペットショップを出た時点ではただ(ケージ代はかかったが)、でも結局何千円のハムスターに変身。
ついでに翌日、残る1匹ももろうて来ました。瘤ですか?そりゃもうきれいに治りましたよ。
その後このねずみ生活は、友人で増えすぎたのを「一番ちっこいのを」と言ってどー考えても規格外のでかさの「ギャオス」を加えて4匹に。(ちゅうかそういう女だったよな、その子)。大学卒業して山梨に行ったときも、こっそり買ってました。
今も確かギャオス(だったと思う)は山梨に眠っています。
名前ももう定かじゃなくなってるのは、加齢のせいというよりは、やはりハムスターと私の関係っていうのが、あまり濃厚なものじゃなかったからでしょう。彼ら、別に人間とコミュニケーションを必要としてませんから。(そうじゃないハムもいるのかもですが)。
結局、あまり何かをしてやれたとも思えなかったし、それでもせっせと世話をして喜びにむせず性質でも私はなかったし、掃除も毎日なんてしなかった。だから気付いたらもう死ぬ一歩手前だったりもしました。心臓の限界、つまるところ老衰といったところでしょうが。それでも、「この子が弱っているのに気付かず、へらへら笑ってテレビ見てた自分」というのが許せなかった。こんなんが、彼らを飼育する資格はないと。
ちなみにその子は、忘れられない経験をくれました。もう弱りに弱っていて、うわーあああと思って自分の手の感触自体がストレスかもと思いつつも、手にとってあたためて。水をやって。あたためてあたためて、夜なんて眠らずに、ずっと手にくるんで。
荒かった息が徐々に弱弱しくなって、ああ、多分これは何をどうしても止められないんだ、と思いつつ、じっと静かに見てました。
くっ・・・と息を呑むようにして、かすかにぶるっと震えて、それで動かなくなりました。そうやって、最後はくるのか・・・と、漠然と(だって生と死は、はっきりと理解するには大きすぎる)感じた経験。
ごめんねごめんねごめんね。何もしてやらなかった。してやろうともしなかった。ちゃんと彼らに「良い」環境を与えてやれた自信もない。なにが一番良いのかも、わからなかった。こんなので、小さくとも「命」を引き受けることなんて、してはいけないんだと思いました。コミュニケーションを密に取れない対象とは、暮らしてはいけない、飼育なんて絶対だめだと。
なんか、もっぱら普段は思い返すことのないことだったけど、この本を読んで思い出してしまいました。
見返りなんて動物は要求してないんだけど。ろくなこともしてやらなかったのに、それでもあんなにおっきなものをもらった、と、色々思い出すと噛み締めてしまいます。だから余計に、不用意に「飼ったり」しない、と。
ちなみに今は植物が都合2鉢いますが、すんごい悩みました・・・だって何十年のつきあいになるかもしれないでしょう?それでも結局連れてきたのだけど。勿論、「サウナでも平気ですか」と質問して。うち、夏はサウナやねん。
あんまり繊細に世話できていないのに、それでもポトスはめきめきでかくなり、マダガスカルジャスミンは花まで咲かせてくれました。
簡単に手出しする領域ではないけれど、それでもやはり、命と一緒にいることを、どうしても選ぶし、そうしていきたい。それも確かに思うのです。
by blessedcoco
| 2007-10-13 23:19
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