2016年 01月 10日
新年のごあいさつ。 |
新年明けましておめでとうございます♪(ああ歯があるわ)←その後抜歯
遅まきながらであるなれど、松のとれぬうちにごあいさつ。
旧年中は多くのお支えあって、ブラックとラブラブ過ごすことができました。
心よりお礼申し上げます。
今年はどんな年になるのか?まったくもって不明ですが、とにかく安定して仕事が受注できるよう、そして専門分野を確立していけるように(はっきり言ってその方がこちらも楽であるし、武器にもなる)頑張っていきたいと思っています。
さはありながら、ARKへ行ったり、FBで全国津々浦々の「保健所」収容犬猫の「期限切れ○○月○○日!」なんて投稿を見ると、ああせめて一頭でも、里親か一時預かりができればと思いますし、単純に「犬との生活が恋しい」とも思います。
その一方で、ブラックの存在が大きすぎて、彼が私に注いでくれたありったけの愛(もうこれ書いてるだけで本気で泣けてきて画面見えなーい、頑張れ私)で胸いっぱいで、「もうあれほどの関係は結べないのではないか」とも思っています。
別に、共に暮す犬全てに愛してもらいたいと考えている、ということではなく、そして、素っ気な~い「水のような関係」だったり、「干渉しないことが一番です」という犬と暮すことになったら嫌だわあ、もっと愛が欲しいの!ということではないんです。お互いに、お互いが心地よい関係を結ぶことさえできれば、例えば24時間中22時間は放っておいてください、あと2時間くらいは我慢してあげますと言われても、「ありがたき幸せ」と思うことは間違いないです。
あれだけ愛してくれたブラックに対してですら、私は自分のわがままを優先させることが多く、また、犬についての学びも浅い。また不自由させてしまったらどうしようか、という恐れがある、ということもしばしば考えます。果たして、私は犬が求めるものを正しく理解し、与えることができるのだろうか、と。
これは、一頭一頭との関係の中で、少しづつ培うべきものでもあるかもしれませんが。なんといっても、初代貴公子で得た学びと反省は二代目王子で活かされ、そこで得た学びと反省もまた・・・となんらかつながっていく不思議な連鎖は、見事としかいいようがないほどに実感させてもらっているので。
とまあ、しっちゃかめっちゃかな思考の中、迎えた新年。しかしあれですね、お正月ていそがしいですね、ありがたいことに。お年始に墓参を習慣にしていることもあり(なにしろ片道1時間ほどで到着)、墓参といつものおうちでわいわいお年始のご挨拶したり、篠山(ARK)行ったり、みる茶々ママさんと能勢(ARK)行ったりしているうちに、仕事始めとなりました。
ブラックへいただいた切花は1ヶ月ほど(ももった、すごい)で役目を終えましたが、
こうして植えることができる苗は今も元気に玄関で咲いてくれています。
新年の投稿にふさわしくないけれど、お正月休みにつらつらと、今の気持ち、ブラックがいなくなってずっと抱えている気持ちはなんだろうかと考えていました。
ブラックが私の心に置いていった愛は確かだし、そのあたたかさは私にあたたかい涙を流させる。幸せの涙。
でも、物理的に、例えば時間は何をしてもしなくても、ブラックがいた日々から遠ざかってしまい、抱きしめたくてもあの手触りはありはしない。
この感情につける名前を考えていたら、そう
この世の終わり
という言葉がしっくりきてしまい、がくぜーん。
そして思い出す。
どこかで聞いた言葉。社会的動物である犬が家族(群れ)を失うということはすなわち、この世の終わりと同義だと。
犬は私よりはるかに感受性が強く純粋でしょう。だからもっともっと、強く、身を裂かれるような痛みを全身全霊で感じているのだ、世の保護犬たちは・・・と思ったことでした。
そんなことにくらくらしながら篠山へ行き、時期を同じくして相棒(最も、あちらは犬で犬の相棒を失ったのですが)を失った、ポターちゃんと施設内のドッグランでぽてぽて歩いていたら、
あたしはかわいそうじゃないわよ♪
しかたがないの、と言っていた、気がします。
強くあらねばのうと、思ったことでもありました。ありがとう、ポターちゃん。
☆おまけ☆
そのドッグランで疾走する推定14~15歳(もっとも、仔犬の頃をARKで過ごして出戻っているので正確な年齢はわかりそうですが)のおじいわん、パル。
by blessedcoco
| 2016-01-10 21:48
| ブラック