2009年 04月 05日
親愛的。 |
冬冬(どんどん)。
六福1☆の犬たちについて話すとき、私はなるべく「六福1☆+αさんたち」と表記してきた、と思います。
それは、今年のお正月に天に還ったSUNNYがいたからであり、今はこの、冬冬がいるから。
彼が六福邸に来た経緯はこちら。
この話を読んだから、心を寄せた・・・ということもあるんだろう、とは思うのですが、そのこととは別に、単純に好みのタイプ(タイプて)だった、という理由もあって、私はずっと、写真の中央に、隅に写る彼を見つけては、かわいいなあ、と思っておりました。
六福邸に伺うことができたのが、2007年9月25日。
六福1☆の犬たちや、当時逗留していた豆じい(なんと豪華メンバーであること)と、現実に会えた!(その前にはぶさんと対面した喜びがあったわけです、当然ながら)よろこびと感激もさることながら、生冬(なまどん・・・一体)との出会いも、とっても嬉しかったわけです。
写真では決して感じることのできない、冬冬の温かさ。カールした毛の柔らかさ、滑らかさ。こうしたものに感激しながらも、体のところどころに変な手ごたえを感じて、あれ?と思いました。
「体に瘤があるでしょう?今はかなり良くなったけれど、うちに来たときはもっとたくさんあったのよ」とはぶさんの談(と、こういうことだったと思います)。
量販されている、見るからに美味しくなさそうな、一体何が入っているのかわからない、そもそもこれは食べ物?というフードを食べ続けるとこういうことが起きる、とは知識として知っていたけれど、実際かわいいかわいい、と思い続けていた仔がその「被害者」であることは、また別の衝撃がありました。
だから、「この瘤がきれいに消えてなくなりますように。冬冬の体からいやなものがなくなりますように」と祈りながら撫でました。なんなら、私の体に移してくださいと。人間は、なんとでもなるから。もっとも、その後はぶさんのご飯と、そこにしみこむ愛情で、冬冬の体は中からきれいになったのだけれど。
冬冬に関しての一番の謎は、「人も犬もともかく”自分”以外の存在に触れる機会がほぼなかったものが、他者との生活ができるのか?」でした。六福1☆の犬たちは、お客を迎え慣れてもいるし、なんといってものびのびおおらかに育っているから良いけれど、うっかり集団に入ると、攻撃対象にされてしまうのではないか、そもそも、冬冬が「怖い」と感じて普通ならとらない行動をとってしまうのでは?でした。
私が感じた冬冬は、「彼の周りだけ、静かな独特の空気がある」というもので、ただしこれが以前の環境のせいなのか、性格なのか、それとも年齢と共に衰えてきている聴覚と嗅覚ゆえか(ときどき不思議な方向をひとりだけ向いていたり)、それはわからないし、そんなことはわからなくても、とにかくそういう不思議さも含めて、「好きだなあ」としみじみ思いました。理屈じゃないし。
で。
相当なおじぃであることは読んで知っていたから、「縁側でぽけぽけ」な感じかと思ってたんですけど。
冬冬、元飼い主の証言によれば80年代生まれのじぃさま、なかなかアグレッシブで、撫でていたらば突然「うりゃ♪」と「やんのか?」な態勢で遊びをしかけてきたのには驚きました。
大丈夫なのか?と。
それはまさに、
こんな感じ。
なので、「80年代生まれはさすがに嘘やろう」と片付けて、「無理するとツケがくるじいさま」という私が勝手に貼ったレッテルはすぐさま外しました。やー、あの躍動感たら。
冬冬の過去を思うと心が痛い。胸が痛い。息が苦しい。精神的にも肉体的にも、ぎゅうっとなる。
けれど、冬冬は自分を哀れだ、と思っていないだろうし、他人にそう思ってもらいたいわけでもないだろう。過去を思い出さないとはいえないだろうし、今の冬冬は過去のことあっての彼。そして私がふと過去の話を思い出して、なんてこと、と思うことも、とめられないけれど、なるべく、そのことを考えるのはよそう、少なくとも冬冬の前では、と思っています。今、ここで、冬冬の温もりに触れることができるよろこびと、彼がこうして「いる」ことを、ただ感謝しよう、と。
元飼い主については、自分を保護者とするしかない生き物に対してこんなことができるということに代表される生き方をしているのだろうから、少なくとも私の観点からすると、それ相応のろくでもないものしか引き寄せられないんだろう、ふん、ざまーみろ、と、品がないのを承知で思うけれど(そして会ったこともない他人だけど)、この人たちがどんな目に遭おうとも、冬冬の過去が塗り替えられることは、絶対にないんだな、と、どれほど取り返しがつかないことか、それが表面上見えないだけに、やりきれなくなります。
まして。
こんなことが平気でできるということが、何の言い訳も通じない、と私は思います。
何とでも言ってちょうだい、会ったこともない他人にここまで重い恨みと怒りを抱ける人間だとは、私も思わなかった。
と、いう、ヒトの身勝手さ(私の思いも含め)は冬冬には関係がない、とも思います。
今はこうしてわらわらだし。愛いっぱいだし(懐かしい旧六福邸)。
そして「80年代生まれは嘘やろう」と書いたけれども、少なくとも今年でめでたく18歳、というのは現実で、それはもう、素晴らしいの一言に尽きます。しかも若いよ!
犬もヒトも皆で目指そう、冬冬、という希望の星でもあるわけです。きらーん☆
誰かに何かを期待することも、ねだることも知らなかった彼も、今ではご飯をこうして待つし。
毎日何が冬冬に一番よいのか?を考えてくれるぶさんとむつさんがいて。
季節に応じて、たとえばお月見団子を皆で食べることもあって。
皆でお出かけも楽しんで。
日々のお散歩も、冬冬のペースを守れるように、連れていってもらえて。
ほんとうに、ぶさんとむつさんの存在は、大げさではなく、この世の宝、奇跡だと思うし、そんな彼らに感動する私は、「愛がなければ、生きている甲斐も意味もない」という性質なのだろうから、そこはまっとうできるように生きなければ・・・と教えてもいただいていると思っています(できてへんけど 涙)。
そして、冬冬を最初に引き取った方の想いにも感動します。他人の犬、相手との距離が近かったら近かったで、遠ければ遠いで、それぞれにやりにくいし、なかなか「ひっさらうように」自分の手元には引き取れないことは、わかるから。
冬冬と暮らしたいのに、叶わない。その辛さも、とても切なくも思います。
実際、ほんとうに身勝手な思いだけれど、私が香港にいたら、冬冬といつもいられたら・・・と、ほんっとーに勝手なんだけど、思ったりもするから(ただしこれは、単純に、「ちっくしょー、かわいい、タイプだ、俺と結婚してくれ!」みたいなものです、いやもうかわいい)。でも、今の私には資格もないし、彼をもう、どんな状況でもひとりにしたくない。と、「いや、世話してんのはうちなんやけど」と、言われそうなんだけど(言わないか)。
この記事自体が、とっても勝手。私は何もしていないし、してあげられないのに、言いたいことを言っている。
ごめんなさい、と、思うけれど、書かずにいられなかったのでした(の、割りに、時間かかったけど)。
by blessedcoco
| 2009-04-05 02:42
| 雑感