2008年 02月 12日
言語を習得、運用能力を向上させる、ということ。 |
下で書いたことに関連して。
言語を学ぼう、としたときに、「レッスンを受ける」というのは、その土地に住んでいるわけではない場合などは特に、とても有効な手段であるとは言えます。
が。
ただ続けていれば、通っていればいいってものではないのです。当たり前ですが。
広東語(と北京語もですが)の教室の新年会にて、「広東語(のテーブルにいたので)で自己紹介をしましょう」という時間があったのですが、3年だか続けている、という人が、大したことを言えやしなかったのを目撃しました。聞きました。そしてさらにその状態を自覚してはいるけれどもそれでふんどしを締めなおす(ってなんだ)風でもなくって、あー、お金と時間勿体無いよねえ、と、口には出さない(そらそうだ)けれど思ったのでした。
なんて偉そうに言ってる私自身、通訳の勉強、かなりだらだらしていて(精神的に大変な時期だった、というのは言い訳)、先生から「勿体無い、と思わなきゃだめですよ」と言われてはっとしたことがあった、という、かなり情けない経験があったりします。
習う、というのは手段であって、その手段を活かすも無駄にするも自分次第、という、ごく当たり前のこと。ただやってるだけで、上達するものなんて、あったら知りたい。
ただそれだけのことです。ということをさらに書く有様な現状にかなり反省しています。
言語を学ぼう、としたときに、「レッスンを受ける」というのは、その土地に住んでいるわけではない場合などは特に、とても有効な手段であるとは言えます。
が。
ただ続けていれば、通っていればいいってものではないのです。当たり前ですが。
広東語(と北京語もですが)の教室の新年会にて、「広東語(のテーブルにいたので)で自己紹介をしましょう」という時間があったのですが、3年だか続けている、という人が、大したことを言えやしなかったのを目撃しました。聞きました。そしてさらにその状態を自覚してはいるけれどもそれでふんどしを締めなおす(ってなんだ)風でもなくって、あー、お金と時間勿体無いよねえ、と、口には出さない(そらそうだ)けれど思ったのでした。
なんて偉そうに言ってる私自身、通訳の勉強、かなりだらだらしていて(精神的に大変な時期だった、というのは言い訳)、先生から「勿体無い、と思わなきゃだめですよ」と言われてはっとしたことがあった、という、かなり情けない経験があったりします。
習う、というのは手段であって、その手段を活かすも無駄にするも自分次第、という、ごく当たり前のこと。ただやってるだけで、上達するものなんて、あったら知りたい。
ただそれだけのことです。ということをさらに書く有様な現状にかなり反省しています。
by blessedcoco
| 2008-02-12 23:58
| 言語