2007年 11月 06日
11月2日という日。 |
少なくとも3人の人間が、不安と緊張の中にあって、光を見始めた一瞬の隙を突くように、そのことはあっけなく起きてしまった。そんな気がしてなりません。
11月1日。動物病院では夜、獣医の先生はちょびの副腎の検査結果を見ながら、示す数値が正常値の範囲内におさまっているのを見て、副腎の機能が衰えて反応そのものが出なかっただけかもしれないと思いつつも、急いで無理して切らなくて良かったと思っていた。
同じ夜、私と母は電話で話しつつ、ちょびはあと10日ほど入院したら退院できる(その10日がちょびにとってどれほど長いかとは思ったけれど)。その後も長期戦だから無理しすぎるのはいけない、つきましては土曜日はがっつり食べに出よう、なんて話してました。
母は少しお見舞いをペースダウンしようとしていたみたいだけれど(そりゃ疲れてるよ、母は父の面倒に祖父母(母の実の両親)のこと、王子の相手もあったしパートもあった)、黙って私は毎日行こうと思ってました。
11月2日午前2時。先生がお休み前に「病室」を見回ったときには、ちょびは「しんどそうではあったけれども布団から顔を出していた」のだそうで、その光景を想像すると、愛しくて愛しくてたまりません。
いつなにがあるかわからない。それを繰り返し繰り返し肝に銘じながらも、こんなに奇跡のような生命力を発揮してくれているのだから、ふさふさのちょびがあの家で飛び回る日が来るんではないかと、少しは信じてもいいんじゃないかと、私はこの日、ブログで「あーこんなうっかり大丈夫っぽい記事書くのもな」と正直思いながらも、希望を感じている気がしてたのでした。
だから、というかだけど、というか、そういうものだと言われるのか。
こんなにも急に、命の火は消えるものなのですね。
朝8時、獣医の先生が診察室(に病室もあり)に行くと、「既に呼吸はしていませんでした」と。
この日、私はいつもより1台早い電車に乗り、乗り継ぎがえらくスムーズだったので、その電車で乗り継ぐはずのものよりさらに1台早い乗り換えができてしまい、あらーんなんて優雅な朝かしら♪と、劉徳華先生のアルバム聴きつつ、朝ご飯のパン買っちゃって、あらついでにオレンジジュースなんて飲もうかしらね、とコンビニに入ったときに、きっとずっと忘れられないメールを母から受け取りました。
大体、こんな時間にメールなんてろくなもんじゃないとは思ってたけれど。シンプルイズザベストというか、そんな直接的な。すごい衝撃。もう職場が目の前だったので、すぐさま職場に行きました。もう電話するよりそのほうが早いからです。涙なんて出なかった。パニックで頭真っ白でした。
午後から通訳の予定がありました。幸い、そのミーティングの出席者の方がもう出社されていたので、一旦帰るけどまた戻ってくる旨を伝えようと、口を開いたらもう涙が出てしまって、必死で用件を伝えました。
その方は動物と暮らしたことはないけれど、ご両親がペキニーズを亡くしたときの嘆きをみているので、無理せずにもう帰ってもいいよと言っていただきました。
ちゃっきーにはメモを残して、花恋さんに一旦出ることを伝えなくっちゃと話したら、花恋さんが泣きそう(ちゅうか泣いてた)になってしまいました。
そんな感じで迷惑をかけたな・・・とは今になってようやく思えることで、情けないながらもそのときはとにかくちょびちょびちょび。出勤する人の波に逆らって、声は挙げないながらも、ぼろぼろぼろぼろ泣く女・・・怖い。
ずーっとずーっと泣いて、別に泣くつもりもなければ、泣いてもどうしようもないんだがと思ってみてもそれでも泣けて、というかむしろ勝手に水が目から出てきてどうしようという感じ。
そこからものすごくじりじりしながらようやくちょびに会うまで、私は何度も何度も、「フェレットは眠りが深いから、そのうちきっと、”すみません、寝てただけでした”って連絡が来るんだ」と思っていたけれど。
ようやく通された診察室で、先生が寝袋を持ってきたとき、「寝袋だけ持ってこられても意味ないんですが」と思ってしまうほど、もうちっこくちっこくなったちょびを見て、そして、なにもここまで冷えなくていいじゃないかというほどに冷たいちょびに触れたら、もうそんなことはないんだと思って、先生が説明してくださってる間も、そして話がひと段落してしまってからも、ただただ泣くしかできませんでした。
母が来るのを待って、ちょびを託して、私は職場に戻って午後は仕事をしました。させてもらったというほうが正しいかもしれない。
帰りには、いつも見るだけで嬉しくなるきれいなお花屋さんで花束を、まぁるいかわいい花束を作ってもらって、こんなこと、死んでからしてどうするねんと心で毒づきながらも早く早くと思って帰りました。
お腹に乗せられた氷を見て、これじゃあ死んじゃう、まだ生きてるかもしれないのに、とまだ思ってしまって、それは焼き場に行くまでずっとずっと実は思ってました。
一旦用事があるから、家に帰って用事を済ませ、お風呂入って実家にまた戻って、がんがん泣きながら、まんじりともせずに朝を・・・と言いたいところですが、もう睡眠不足で頭ぐらぐらだったので、深く寝てしまいました。
この日はほんとに寒かった。ちょびの体を躍起になって冷やす必要ないわなこれは、ていうかそんなこと気遣ったんじゃなかろうねまさか、と思っちゃうくらいに冷え冷えの日でした。
翌日は、素晴らしく晴れた日で、それでいて気温は低くて、考えすぎだけど、ちょびがそうしてくれたように思えて、余計に切なかったです。
お花をいっぱいいっぱいにして、ごはんと、お水を含ませて。あっけないですね、半時間ほどでお骨になりました。
実はその前に仏式の祭壇(ちゅうのか)にちょびが乗せられて、あいしまった、と思ったのですが(クリスチャンだから、ではなく、シンプルにやりたかった、なんとなく)、幸いなことに(申し訳ありませんが)お坊さまが入院なさっていて、なんなら私がお経あげますが、と事務員のおばさんが仰ってくださったけれど、お断りしました。
なんだかここにちょびを置いていくのは嫌で、だからお骨は全部持って帰りました。
母がお会計(なんだよな)している間、あーいい天気でいい眺めだなーと、ちょびを抱えてぷらぷら歩いて、緑を眺めながら、ちょっちゃーん、もうしんどくないかなあ、と口に出して言ったら、腕の中にいるちょびの、もう何があっても帰ってこないことを思い知らせるような軽さもあいまって、悲しいとか辛いとか、申し訳ないとかありがとうとか、何もなくってただただ泣くしかありませんでした。
亡くなったそのあとの儀式その他は、ほんにんよりも残されたもののためにあるもんだろう。だから自己満足。でもその自己満足がないと、やりきれない弱さを、否定することはできないと思うのでした。
ちょびがどこでどうしているのか、どこに行くのか。それは知らない。悲しいけれどわからない。だけどきっと魂の旅は続いていて、それは誰でもひとりの旅で、誰も同行することはできなくて、誰でも、誰でも、そうなんだ・・・そう思うと、生きていることが幸いで、死ぬことが不幸ではないのだろうと、頭では処理することはできても、あほなわたしは、ちょっつーがちゃんと旅を続け、その道のりがよいものであって、そしてもう辛くも痛くもないものか、とってもとっても気になります。
ここで生身でつきあうちょびとの話はおしまいです。
いっぱいいっぱい、お祈りくださったこと、励ましてくださったこと、気をくださったこと。
再度お礼申し上げます。ありがとうございました。
11月1日。動物病院では夜、獣医の先生はちょびの副腎の検査結果を見ながら、示す数値が正常値の範囲内におさまっているのを見て、副腎の機能が衰えて反応そのものが出なかっただけかもしれないと思いつつも、急いで無理して切らなくて良かったと思っていた。
同じ夜、私と母は電話で話しつつ、ちょびはあと10日ほど入院したら退院できる(その10日がちょびにとってどれほど長いかとは思ったけれど)。その後も長期戦だから無理しすぎるのはいけない、つきましては土曜日はがっつり食べに出よう、なんて話してました。
母は少しお見舞いをペースダウンしようとしていたみたいだけれど(そりゃ疲れてるよ、母は父の面倒に祖父母(母の実の両親)のこと、王子の相手もあったしパートもあった)、黙って私は毎日行こうと思ってました。
11月2日午前2時。先生がお休み前に「病室」を見回ったときには、ちょびは「しんどそうではあったけれども布団から顔を出していた」のだそうで、その光景を想像すると、愛しくて愛しくてたまりません。
いつなにがあるかわからない。それを繰り返し繰り返し肝に銘じながらも、こんなに奇跡のような生命力を発揮してくれているのだから、ふさふさのちょびがあの家で飛び回る日が来るんではないかと、少しは信じてもいいんじゃないかと、私はこの日、ブログで「あーこんなうっかり大丈夫っぽい記事書くのもな」と正直思いながらも、希望を感じている気がしてたのでした。
だから、というかだけど、というか、そういうものだと言われるのか。
こんなにも急に、命の火は消えるものなのですね。
朝8時、獣医の先生が診察室(に病室もあり)に行くと、「既に呼吸はしていませんでした」と。
この日、私はいつもより1台早い電車に乗り、乗り継ぎがえらくスムーズだったので、その電車で乗り継ぐはずのものよりさらに1台早い乗り換えができてしまい、あらーんなんて優雅な朝かしら♪と、劉徳華先生のアルバム聴きつつ、朝ご飯のパン買っちゃって、あらついでにオレンジジュースなんて飲もうかしらね、とコンビニに入ったときに、きっとずっと忘れられないメールを母から受け取りました。
大体、こんな時間にメールなんてろくなもんじゃないとは思ってたけれど。シンプルイズザベストというか、そんな直接的な。すごい衝撃。もう職場が目の前だったので、すぐさま職場に行きました。もう電話するよりそのほうが早いからです。涙なんて出なかった。パニックで頭真っ白でした。
午後から通訳の予定がありました。幸い、そのミーティングの出席者の方がもう出社されていたので、一旦帰るけどまた戻ってくる旨を伝えようと、口を開いたらもう涙が出てしまって、必死で用件を伝えました。
その方は動物と暮らしたことはないけれど、ご両親がペキニーズを亡くしたときの嘆きをみているので、無理せずにもう帰ってもいいよと言っていただきました。
ちゃっきーにはメモを残して、花恋さんに一旦出ることを伝えなくっちゃと話したら、花恋さんが泣きそう(ちゅうか泣いてた)になってしまいました。
そんな感じで迷惑をかけたな・・・とは今になってようやく思えることで、情けないながらもそのときはとにかくちょびちょびちょび。出勤する人の波に逆らって、声は挙げないながらも、ぼろぼろぼろぼろ泣く女・・・怖い。
ずーっとずーっと泣いて、別に泣くつもりもなければ、泣いてもどうしようもないんだがと思ってみてもそれでも泣けて、というかむしろ勝手に水が目から出てきてどうしようという感じ。
そこからものすごくじりじりしながらようやくちょびに会うまで、私は何度も何度も、「フェレットは眠りが深いから、そのうちきっと、”すみません、寝てただけでした”って連絡が来るんだ」と思っていたけれど。
ようやく通された診察室で、先生が寝袋を持ってきたとき、「寝袋だけ持ってこられても意味ないんですが」と思ってしまうほど、もうちっこくちっこくなったちょびを見て、そして、なにもここまで冷えなくていいじゃないかというほどに冷たいちょびに触れたら、もうそんなことはないんだと思って、先生が説明してくださってる間も、そして話がひと段落してしまってからも、ただただ泣くしかできませんでした。
母が来るのを待って、ちょびを託して、私は職場に戻って午後は仕事をしました。させてもらったというほうが正しいかもしれない。
帰りには、いつも見るだけで嬉しくなるきれいなお花屋さんで花束を、まぁるいかわいい花束を作ってもらって、こんなこと、死んでからしてどうするねんと心で毒づきながらも早く早くと思って帰りました。
お腹に乗せられた氷を見て、これじゃあ死んじゃう、まだ生きてるかもしれないのに、とまだ思ってしまって、それは焼き場に行くまでずっとずっと実は思ってました。
一旦用事があるから、家に帰って用事を済ませ、お風呂入って実家にまた戻って、がんがん泣きながら、まんじりともせずに朝を・・・と言いたいところですが、もう睡眠不足で頭ぐらぐらだったので、深く寝てしまいました。
この日はほんとに寒かった。ちょびの体を躍起になって冷やす必要ないわなこれは、ていうかそんなこと気遣ったんじゃなかろうねまさか、と思っちゃうくらいに冷え冷えの日でした。
翌日は、素晴らしく晴れた日で、それでいて気温は低くて、考えすぎだけど、ちょびがそうしてくれたように思えて、余計に切なかったです。
お花をいっぱいいっぱいにして、ごはんと、お水を含ませて。あっけないですね、半時間ほどでお骨になりました。
実はその前に仏式の祭壇(ちゅうのか)にちょびが乗せられて、あいしまった、と思ったのですが(クリスチャンだから、ではなく、シンプルにやりたかった、なんとなく)、幸いなことに(申し訳ありませんが)お坊さまが入院なさっていて、なんなら私がお経あげますが、と事務員のおばさんが仰ってくださったけれど、お断りしました。
なんだかここにちょびを置いていくのは嫌で、だからお骨は全部持って帰りました。
母がお会計(なんだよな)している間、あーいい天気でいい眺めだなーと、ちょびを抱えてぷらぷら歩いて、緑を眺めながら、ちょっちゃーん、もうしんどくないかなあ、と口に出して言ったら、腕の中にいるちょびの、もう何があっても帰ってこないことを思い知らせるような軽さもあいまって、悲しいとか辛いとか、申し訳ないとかありがとうとか、何もなくってただただ泣くしかありませんでした。
亡くなったそのあとの儀式その他は、ほんにんよりも残されたもののためにあるもんだろう。だから自己満足。でもその自己満足がないと、やりきれない弱さを、否定することはできないと思うのでした。
ちょびがどこでどうしているのか、どこに行くのか。それは知らない。悲しいけれどわからない。だけどきっと魂の旅は続いていて、それは誰でもひとりの旅で、誰も同行することはできなくて、誰でも、誰でも、そうなんだ・・・そう思うと、生きていることが幸いで、死ぬことが不幸ではないのだろうと、頭では処理することはできても、あほなわたしは、ちょっつーがちゃんと旅を続け、その道のりがよいものであって、そしてもう辛くも痛くもないものか、とってもとっても気になります。
ここで生身でつきあうちょびとの話はおしまいです。
いっぱいいっぱい、お祈りくださったこと、励ましてくださったこと、気をくださったこと。
再度お礼申し上げます。ありがとうございました。
by blessedcoco
| 2007-11-06 00:00
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