2007年 08月 29日
完ぺき主義者に最も向いていて、そして最も向いていない職業。 |
いつかこんな日は来ると思ってはいたのです。誰しも通る道・・・。
今日のお昼に、ちゃっきーと会議の撤収に行った際、そういえばお昼休憩後に役員クラスの第2四半期アップデートビデオを観てディスカッションしますが通訳に入りますか?とのオファー。
一瞬迷うも、やらせてやろうと言っていただけるならば、有難く受けて立つ(なにか違)のが務めよ、と有難く引き受けました。
それからは、お昼休みを返上して(折角のバランスランチも味わう暇なし←でも食べた辺りがえらい)ビデオの予習。
ビデオをあらかじめ視聴できるのはラッキー。ですが。
忘れてました。ビデオということは、冗語(無駄言葉)が一切ないということを。
終わってから、「実は英語の原稿もあったんだけど、もらわなかったの?」とボスに聞かれたというエピソードもあったのですが、やってる最中は知らなかったのです。
初めて本気で駄目だ、と思いました。いや今更かいという突っ込みもありですが。
何を言っているのか、自分がどこから話を始めたかわからない。ということは当たり前ですがボスはもっとわからない。なにか音声を発していることだけは確かだ、という恐ろしい状態で、ほんとに、英語の原稿、あって良かったですよ・・・(ボスにとって)。
その後のディスカッションが実は一番怖かったのですね。なにせ、何が出てくるかわからないから。
で、案の定「ちゃんとわかってるか自信がないから、確認してもいい?」というボスの言葉でもう限界点に達してしまい、ブースの扉を開けて遁走・・・はしませんでしたが、「すみません、ちゃんと訳せなかったので、説明していただいてもよろしいですか?」って・・・あんた何しにそこにいるねん、とは一番私が思ったこと。そのときの空気は多分、きっと、忘れられません・・・。
と、言いつつも、マネージャーが英語で説明してくださったのですが。
今思えば、このやりとりは逐次でやれば良かったんだとわかるけれど、そのときはもう「なんやねんなにしてるねんわたし」という吐きそうな恐ろしさがぐるぐるしながらも、でも今、ここで、やらなきゃどうするねんー!!という気持ちでなんとか・・・なんとか・・・。
後から方々に謝って回ったけれど、だからいいというものでは当然ありません。それは相手の方々の反応で思ったのではなく(責めるコメントは一言もなかった)、私が、プロとしてあまりにお粗末な自分を、遅まきながら思い知ったからです。
通訳はコミュニケーションの仲立ちで、だから自分がお粗末であると、とにもかくにも「その場」が大変なことになる。普通にまとまる話が立ち往生する、ということを、通訳者という立場の人間のせいで引き起こすのは、あってはならないわけです。当たり前ですが。
潤滑油が最大の障害物になったら、本末転倒です・・・。
そしてほぼ討ち死にの落ち武者のようになった私は(ってそんなショック受ける暇もねえだろと思うけど)、そのまま師匠のところでお話しを伺ったのでありました・・・どこまで迷惑やねん・・・。
師匠も最初から今のようなスーパー通訳だったわけではなく、あろうことか初期は会社の会議(役員クラスだよしかも)で、ごっつお偉いさん(ドイツ人)の英語がわからず、「I don't understand you」(あなたのおっしゃる事がわかりません)と言ってしまい、以降、「何度殺されそうな目に遭ったか」と、「もうあの頃に戻りたいかって言われたら、絶対戻りたくないわ~」と言ってました。
とはいえ、ベテランほどあほほど勉強するのがこの業界で、そのことについては、「どんなベテランでも”できてない”と思ってると思うのよ」と。
完璧主義者、というか、「できていない、至らない部分」に敏感な人間にしかできないし、そういう人間ほど伸びる。一方で、「できていない、至らない部分」に自己嫌悪スパイラルに陥る人間にはやはり辛い、(でもだからこそ努力するし向上する)それが通訳なんだな、と思いました。
一生受験勉強を、短いスパンで繰り返しているわけです。やはり。
最初は、機会を与えられた事実だけに満足していたのだな、とはっきり思います。そのときも、この心理状態は若葉マークだよなあと思ったけれど。
この怖い、という経験を、したからこそ、伸びていくのだと思います。それは勿論、繰り返さないように努力を重ねるということでしか成し得ないわけですが・・・。
帰りの電車で、なんだってこんな終りのない難儀な職業になる羽目になったんだろう?と思ってしまいましたが、「だからこそ、なんだな」と妙に納得する部分もあるので、やはりこれが天職かと・・・。
落ち込んで少しの間しょんぼりする辺りがまだまだです。でも、チームの人たちに喜ばれる仕事、役に立つ人間になりたいので、できる事をやるのです。あんなものを二度とボスに聞かせたくないし、ただでさえ忙しい人間の集まりだから、自分のせいで手間をとらせることもしたくありません。
そしてそんなときに、「でもよくやったよ」と言ってくれる人がいることが(情けないけど)有難いです。「僕は聞いてないけど(イヤホンつけてなかったなそういや)」とも言われたけど・・・。
そういう人がいて、私に力とモチベーションをくださる。有難いです。そして、そう言ってくださる方がいなければ、どこまでも落ち込んでしまっただろう自分を反省する次第でもあります。
実はこの人、私は仕事を始めた当初、一番苦手だ、と思った人でした。
暴れたいくらいに情けない自分。でも天使(だよほんと)がいて、支えと感じるのならば、駄目駄目でも、少しづつでも、やっていけ、やらねばならないと、後押しされている、そんな気がするのでした。
だから、今日は(いつもだけど)、有難い、良い日でした。心から、そう思います。失敗できるというのは、伸びるチャンスだからです。
今日のお昼に、ちゃっきーと会議の撤収に行った際、そういえばお昼休憩後に役員クラスの第2四半期アップデートビデオを観てディスカッションしますが通訳に入りますか?とのオファー。
一瞬迷うも、やらせてやろうと言っていただけるならば、有難く受けて立つ(なにか違)のが務めよ、と有難く引き受けました。
それからは、お昼休みを返上して(折角のバランスランチも味わう暇なし←でも食べた辺りがえらい)ビデオの予習。
ビデオをあらかじめ視聴できるのはラッキー。ですが。
忘れてました。ビデオということは、冗語(無駄言葉)が一切ないということを。
終わってから、「実は英語の原稿もあったんだけど、もらわなかったの?」とボスに聞かれたというエピソードもあったのですが、やってる最中は知らなかったのです。
初めて本気で駄目だ、と思いました。いや今更かいという突っ込みもありですが。
何を言っているのか、自分がどこから話を始めたかわからない。ということは当たり前ですがボスはもっとわからない。なにか音声を発していることだけは確かだ、という恐ろしい状態で、ほんとに、英語の原稿、あって良かったですよ・・・(ボスにとって)。
その後のディスカッションが実は一番怖かったのですね。なにせ、何が出てくるかわからないから。
で、案の定「ちゃんとわかってるか自信がないから、確認してもいい?」というボスの言葉でもう限界点に達してしまい、ブースの扉を開けて遁走・・・はしませんでしたが、「すみません、ちゃんと訳せなかったので、説明していただいてもよろしいですか?」って・・・あんた何しにそこにいるねん、とは一番私が思ったこと。そのときの空気は多分、きっと、忘れられません・・・。
と、言いつつも、マネージャーが英語で説明してくださったのですが。
今思えば、このやりとりは逐次でやれば良かったんだとわかるけれど、そのときはもう「なんやねんなにしてるねんわたし」という吐きそうな恐ろしさがぐるぐるしながらも、でも今、ここで、やらなきゃどうするねんー!!という気持ちでなんとか・・・なんとか・・・。
後から方々に謝って回ったけれど、だからいいというものでは当然ありません。それは相手の方々の反応で思ったのではなく(責めるコメントは一言もなかった)、私が、プロとしてあまりにお粗末な自分を、遅まきながら思い知ったからです。
通訳はコミュニケーションの仲立ちで、だから自分がお粗末であると、とにもかくにも「その場」が大変なことになる。普通にまとまる話が立ち往生する、ということを、通訳者という立場の人間のせいで引き起こすのは、あってはならないわけです。当たり前ですが。
潤滑油が最大の障害物になったら、本末転倒です・・・。
そしてほぼ討ち死にの落ち武者のようになった私は(ってそんなショック受ける暇もねえだろと思うけど)、そのまま師匠のところでお話しを伺ったのでありました・・・どこまで迷惑やねん・・・。
師匠も最初から今のようなスーパー通訳だったわけではなく、あろうことか初期は会社の会議(役員クラスだよしかも)で、ごっつお偉いさん(ドイツ人)の英語がわからず、「I don't understand you」(あなたのおっしゃる事がわかりません)と言ってしまい、以降、「何度殺されそうな目に遭ったか」と、「もうあの頃に戻りたいかって言われたら、絶対戻りたくないわ~」と言ってました。
とはいえ、ベテランほどあほほど勉強するのがこの業界で、そのことについては、「どんなベテランでも”できてない”と思ってると思うのよ」と。
完璧主義者、というか、「できていない、至らない部分」に敏感な人間にしかできないし、そういう人間ほど伸びる。一方で、「できていない、至らない部分」に自己嫌悪スパイラルに陥る人間にはやはり辛い、(でもだからこそ努力するし向上する)それが通訳なんだな、と思いました。
一生受験勉強を、短いスパンで繰り返しているわけです。やはり。
最初は、機会を与えられた事実だけに満足していたのだな、とはっきり思います。そのときも、この心理状態は若葉マークだよなあと思ったけれど。
この怖い、という経験を、したからこそ、伸びていくのだと思います。それは勿論、繰り返さないように努力を重ねるということでしか成し得ないわけですが・・・。
帰りの電車で、なんだってこんな終りのない難儀な職業になる羽目になったんだろう?と思ってしまいましたが、「だからこそ、なんだな」と妙に納得する部分もあるので、やはりこれが天職かと・・・。
落ち込んで少しの間しょんぼりする辺りがまだまだです。でも、チームの人たちに喜ばれる仕事、役に立つ人間になりたいので、できる事をやるのです。あんなものを二度とボスに聞かせたくないし、ただでさえ忙しい人間の集まりだから、自分のせいで手間をとらせることもしたくありません。
そしてそんなときに、「でもよくやったよ」と言ってくれる人がいることが(情けないけど)有難いです。「僕は聞いてないけど(イヤホンつけてなかったなそういや)」とも言われたけど・・・。
そういう人がいて、私に力とモチベーションをくださる。有難いです。そして、そう言ってくださる方がいなければ、どこまでも落ち込んでしまっただろう自分を反省する次第でもあります。
実はこの人、私は仕事を始めた当初、一番苦手だ、と思った人でした。
暴れたいくらいに情けない自分。でも天使(だよほんと)がいて、支えと感じるのならば、駄目駄目でも、少しづつでも、やっていけ、やらねばならないと、後押しされている、そんな気がするのでした。
だから、今日は(いつもだけど)、有難い、良い日でした。心から、そう思います。失敗できるというのは、伸びるチャンスだからです。
by blessedcoco
| 2007-08-29 23:42
| 日々の出来事