2007年 06月 02日
じゃくちゅー。 |
関係ないけど、塾展の作品はこうだったのです。見ろ、juf。(命令形・・・)。
さて。
そもそもは相国寺にあったというのに、宮内庁が巻き上げて(ただの私の主観)、創立者(とはいわないが)足利義満600忌の折に、120年ぶりにお里帰りを果たした伊藤若冲の「動植綵絵」。開期が5月12日から6月3日というのは、あまりに短い「実家に下がらせていただきます」だと思いました。しかもあれだけの人が来たら、開期、延長してください。可能なはず、だって国内の所蔵品じゃん!!!
と、いう訴えはさておき、そもそも「待つ」ということは当たり前としてとらえていたので、日傘に本を携えて、行って来ました相国寺。ていうか、母校の間にあるお寺、くらいに思ってましたが(ええ、同志社ですねん)、間違ってました。相国寺の脇に、母校があるんです。でかい!!
にしても、「180分待ち」を「3時間待ち」に変換した瞬間、眩暈がしたのも事実でしたが。
だけれども、いつもオフィスで変な空調でいることもあって、外気に触れているのが気持ち良かった。今はなにせすごくいい季節です。風はさらりとしているし、緑は美しいし。テント張ってくださってたので、日傘も途中からはささずにすみました。なにより、ただぼーっとできるしかも3時間も、というのは平日は有り得ないから、なぁんて贅沢なんだろう♪そう思って堪能してました。
伊藤若冲は江戸時代の人。1700年代だったかな?京都出身、錦市場の青物問屋の人で、敬虔なる仏教徒。40歳で家督を弟に譲り、創作一本の人生。この、今回日本全国から人間をわらわらと集め、何時間でも待たせたこの30点からなる作品(だけじゃなかったが)は、なんと彼がお寺に「寄進」したもの。寄進状も見れました。
この、寄進状というのが謙虚なもので、もしもその言葉が彼の人生を貫く姿勢であったなら、この時代に、これだけの人がやってきて賞賛の言葉を惜しまない事実をおおらかに喜んだんじゃないかなあ、と思ってにんまりしました。
帰りは、夕方にお墓ってのは本来NGと思いつつ、お墓で感謝を捧げて(よく見つけられたなと思うけど)帰りました。墓地入った瞬間照明はつくわ、ちょっと気持ち悪くなるわでしたけど、気のせい気のせい。気のせいやなかったら、ニーコさんよろしく。
その後はmissyとお酒して(だってジントニックが飲みたくて♪)帰りました。
立ち仕事を経験してきた私としては、この暑い中、立ちっぱなしで人を整理していたスタッフさんたち、大変だろうなあと思ったのですが。
長い長い待ち時間、にぶち切れて彼らにあたっている人を見て、どうしてかしらと思いました。それ、なんの意味も、ないじゃん!!
朝のホームでどんどん押してくる人たち。自分のいら立ちを、責任のないスタッフにぶつける人たち。
色んな「なぜ?」を見るけれど、そして「やだなあ」と思うけど、蔑んだりしないかわりに、一生この種の人たちとは、交わらないことをも確信できる。ただそれだけ。
でもそういう人たち、増えている気がする・・・そういう人、現象に対する「なぜ」に答えは見つからないと思うけど(挙げようと思えばできる気もするけれど、不毛)、それに巻き込まれたりしない、と思う。これからきっと、どんどん厳しい時代がくるように思えるだけに、それに飲まれたら、命をいただいている意味がない。そう思うのです。
ついでに言えば、変えられない待ち時間を愚痴で過ごすよりは、楽しむ方がハッピーです。だって、いつでも、「今」と「ここ」にしか、幸せも悲しみも、有り得ないし、過ぎてからでは取り戻せないから。
思うに、いらいらする人たち、過密スケジュールにも見えなかったので、おそらく、「絵の前にいる自分」だけをイメージして、それ以外を「無駄」と見るから、いらいらするんじゃないかなー。
さて。
こうして日々なんらかの形で、人のいらいら、とか、うじうじ、とか、しめしめうじうじな気持ちを行動を見たり感じたりしていること、と、それに対する思いを書くことは意味なーし、と思っていたけれど、ちょっと気になることがあったから、書こうかと思います。
実際これは会社でもあること。ふとした瞬間に、あ、テンパってるな、とか、あれ、もしかして嫌われてる?とか。
先日も、気付いたらじめじめしたメールが届いていて、びっくりしました。なにそれ?一瞬不快になったし、なにを思ってこんなもの?と思って、そして思いました。もう自分でどうしようもないストレスがあるんだなあ。
他人のネガティブな気持ちや態度(気のせいかもしれんが)。これについてくよくよしようと思えば、いくらでもできるけど、それはもうしない。正面からぶつかっていくのも意味がないと思います。
だから、静観しつつ、うじっとしてくる人がいたら、テンパってる人がいたら、その分、大丈夫ですかの気持ちを込めて、ふっくら笑顔を贈ることができる女になろうって思います。笑顔、それすら意味をなさないのであれば、せめて祈りつつ、できるサポートをするか、うざがられている(ような気がする人、若干1名。でもそれって、アク強い女なら、そういう相手もできるのよねん☆)ならば、ふーんと思う、それだけ。
同情を哀れみもなしで(だっていらないでしょう)、不安や恐れもなく。まーまーお茶でも一杯♪
プラス、自分のハッピー体質はどんどん磨いていくのです☆
これは作品のみ。これだったのよん。で、撮って&送ってくださった、A川さんに心から感謝☆
今日、作品を見ながら、私自身が創作の機会を与えられた人間であること、筆を使う機会を与えられ、実際それを続けていられることに、心から感謝をしました。
by blessedcoco
| 2007-06-02 22:15
| 日々の出来事