2010年 06月 09日
One fine day. |
今日は暑くもなく寒くもなく、風もさわやかな気持ちのよい日です。
祖母が昨日朝、身罷りまして。あ、父方なんですけど。
3月に入院して退院することがありませんでした。点滴だけで食べることもできなかったし、ここしばらくは点滴すら打てなかったと聞いていて、あまり幸いと思える状況ではないなあと思っていたけれど、最期は毎日のように見舞いに訪れていた伯母が間に合ったし、その伯母が縫った着物を着て旅立ったので、私は慰められたのでした。
祖母がどう感じ、何を考えていたのかは、わかることができません。
あっさりさっぱりした、現実的な物の見方、考え方をする人でした。いつまでーも、面白い受け答えをする人であったし、自分のことは自分できっぱり決めてきた。祖父が倒れて半身が不自由になった後も淡々と世話をしていたし、見送ってからは老人会の集いやら、近所の仲良しさんを見舞うやら、活動的でもありました。
半年ほど、誰もいなくなった家に私は住んでいたわけですが(ねずみといたちで相当恐怖な日々ではあったけれど)、祖母が丁寧に暮らしていたことを改めて知ることができました。だって、ねずみが出ることをまるで(住む日まで)気づくことがなかったんですよ。それに、物が少なかった。世代的なものもあるかもしれないけれど、なんとあっさりとした暮らしぶりだったんだろうと感心した記憶があります。シンプルイズザベスト。まさにまさに、と。
そして祖母からすれば見送られるその日が、こんな美しい日であったこと。あっぱれじゃないか、と思います。
祖母という人・・・と言っていいかわからないけれど、ともかくその人の魂の旅路は続く、と私は信じているので、これからの旅路が、どうぞ守られますようにと、そう祈ってます。
この世にいるとわかんないけど、おそらくまー色々全部がつながってるのでしょうし。
また会うかどうかなんて知らないけれど、これからも元気でね、と、私も頑張って生きましょう、と、それだけです。
祖母が昨日朝、身罷りまして。あ、父方なんですけど。
3月に入院して退院することがありませんでした。点滴だけで食べることもできなかったし、ここしばらくは点滴すら打てなかったと聞いていて、あまり幸いと思える状況ではないなあと思っていたけれど、最期は毎日のように見舞いに訪れていた伯母が間に合ったし、その伯母が縫った着物を着て旅立ったので、私は慰められたのでした。
祖母がどう感じ、何を考えていたのかは、わかることができません。
あっさりさっぱりした、現実的な物の見方、考え方をする人でした。いつまでーも、面白い受け答えをする人であったし、自分のことは自分できっぱり決めてきた。祖父が倒れて半身が不自由になった後も淡々と世話をしていたし、見送ってからは老人会の集いやら、近所の仲良しさんを見舞うやら、活動的でもありました。
半年ほど、誰もいなくなった家に私は住んでいたわけですが(ねずみといたちで相当恐怖な日々ではあったけれど)、祖母が丁寧に暮らしていたことを改めて知ることができました。だって、ねずみが出ることをまるで(住む日まで)気づくことがなかったんですよ。それに、物が少なかった。世代的なものもあるかもしれないけれど、なんとあっさりとした暮らしぶりだったんだろうと感心した記憶があります。シンプルイズザベスト。まさにまさに、と。
そして祖母からすれば見送られるその日が、こんな美しい日であったこと。あっぱれじゃないか、と思います。
祖母という人・・・と言っていいかわからないけれど、ともかくその人の魂の旅路は続く、と私は信じているので、これからの旅路が、どうぞ守られますようにと、そう祈ってます。
この世にいるとわかんないけど、おそらくまー色々全部がつながってるのでしょうし。
また会うかどうかなんて知らないけれど、これからも元気でね、と、私も頑張って生きましょう、と、それだけです。
by blessedcoco
| 2010-06-09 17:23
| 日々の出来事